Lesson2-2 人事制度の歴史

人事制度の歴史と変遷

1945年〜

1945年以降の日本は、戦後復興期となります。

食べるために働かなければならなかったこの時代は、
日給制が主体でした。

1955年ごろより、日本は高度経済成長期を迎えます。

一時期、アメリカ型の制度である「職務給」がブームとなりました。

これは仕事の内容によって報酬を決める制度なので、
勤続年数などは考慮されません。

一方で、成長中の企業は優秀な人材に長期的に働いてもらうために、
年功賃金の導入を始ます。

年功制度は職務給とは異なり、
仕事内容で報酬が決まるのではなく、
学歴・勤続年数をもとに、個々人の評価が加味されます。

勤続というのは、
「長く働いていればそれだけ習熟度も上がり、優秀である」
ということを意味します。

これに伴い、勤続年数が長い人材を所定のポストに配置し、
ポストに応じた報酬を支払うという考え方も根付いていきました。

1975年〜

高度成長期から安定成長期に入ります。

企業の成長も安定期に入ったため、
ポストの増加も横ばいとなります。

企業はポストに応じた報酬の支払いで人材を確保できなくなったため、
「職能」で処遇を決めました。

これを職能資格制度と言います。

職能資格制度は、特定の職務ではなく、「職務を遂行する能力」によって評価を決め、
その等級に応じて賃金や配置を決める制度です。

つまりポストには就けないが、同等の能力がある人材についても、
ポストに見合うだけの処遇をしてきました。

年功をベースにしたこの職能資格制度は基本的に降格がなく、
年齢とともにほぼ自動的に報酬が上がっていくため、
企業に勤める人材にとっても魅力的な制度だったと言えるでしょう。

1990年〜

バブルの崩壊により、日本経済が揺らいだ時期です。

企業の成長は止まり、年功ベースの職能資格制度には、
限界がきました。

そこで企業は、能力ではなく成果や業績に基づいて報酬や処遇を決める、
成果主義に注目し始めます。

成果主義の代表的な報酬制度が「年俸制」です。

年俸は、「成果を出すことができれば報酬が上がり、
できなければ報酬が下がる」という仕組みです。

しかし、実際には、年俸を上げることはできても、
下げることは容易ではありません。

また、チーム実績の中で、個人の成果を測ることの難しさや、
人材育成ができなくなるといった問題点も露呈しました。

ここで再び注目されたのが、「職務主義」です。

能力ではなく、仕事の内容によって処遇を決める考え方です。

つまり〇〇という仕事に就く人は、能力・スキル・経験に関係なく、
一律で同じ賃金を得ることになります。

外資系企業のほか、日本の企業でも採用するところが増えてきました。

職務主義は、

  • 仕事内容と報酬がリンクしているため、社員の納得感が得られる。
  • 降格が合理的におこなわれる。
  • 労務費がコントロールできる。

などのメリットがあります。

一方で、

  • ジョブローテーションによって人材を育成してきた日本の風土になじまない。
  • 組織変更があった時の対応に手間がかかる。
  • 仕事の範囲が広くなってしまう中小企業においては、職務を定めるのが難しい。

といったデメリットもあります。

2005年〜

職務主義と前後して登場したのがコンピテンシーです。

コンピテンシーとは、高い成果を上げている人の行動モデルのことです。

この概念は、1970年代のアメリカで誕生しましたが、
日本では1990年ごろから導入され始め、2000年代以降に広がりを見せました。

高い能力があったとしても、
それが発揮できなければ(行動しなければ)意味がありません。

高い成果を上げるために必要な能力(できる)に焦点を当てるのではなく、
成果を上げるための行動(〜している)に焦点を当てる考え方です。

行動特性という見えるものを評価するため、
公正に評価しやすいといったメリットがあります。

一方で、コンピテンシーは成績優秀者の行動モデルから抽出されますが、
成績優秀者の選出と行動モデルの抽出は容易ではないという課題もあります。


人事制度の歴史をざっくりと解説してきました。

変遷を辿ってみてわかることは、
どのような制度であってもメリット・デメリットがあります。

時代や企業の成長とともに、
人事制度も見直していかなければなりません。

さまざまな概念や考え方が登場しましたが、
大切なのは「制度そのもの」よりも、
その時々によって柔軟に対応できるか否か、ということなのでしょう。

Lesson2では、人事の起源や人事制度の歴史について解説してきました。

次のレッスンからは、人事部の仕事内容について学習します。